目的と手段。

 昔の私も含めて、おおよその生徒は、例えば、
➀計算が出来るようになる。漢字や英単語を書けるようにする。
➁テストで良い点を取る。
➂希望する大学に入り、興味がある分野の研究をする。
➃自分の専門知識を活かした会社に就職する。
➄社会経験を積んで成長する。
➅社会貢献が出来るようになる。
と漠然と計画を立てるが、学生の間は➀と➁を繰り返すために、
いつの間にか「テストで良い点を取る」ことが手段ではなく、目的になってしまうことが多い。
それに、➀~➅はいずれも、現在の自分の立場や視点によって、「目的」にも「手段」にもなりえる。
だから、容易に入れ替わってしまう。
 また、「目的」に似た言葉に「目標」がある。
混同しがちだが、「目標」は「目指すべき標(数値や状態)」であり、「目的」ではない。
私なりの捉え方をすれば、「目的=目標+意味(価値・動機・ポリシー)」である。
 ➅を目的にしている人にとっては、➀~➄は「手段」であり、
通過点である「目標」でもある。
それなのに、➀と➁の繰り返しでは、目標疲れを起こしてしまい、「目的」を忘れてしまう。
学校や会社に疲弊感が漂っているのは、これが理由である。
 「目的」は自分が成長する限り、無限に増えていくものである。
だからこそ、「目的」と「手段」が入れ替わってしまうと、ずっと疲弊感に悩まされてしまう。
 知識はそれだけでは意味をなさない。自分の行動の「手段」にして、はじめて意味を持つ。
「何のために勉強したり、仕事したりしているのか」という問いに対する自分なりの答えこそが、
自分を動かす原動力なのである。
 「今」の自分にとっての「目的」と「手段」、一度考えてみて欲しい。

前学年の学習の不安はありませんか

 7月20日からSHOOTでは夏期指導を行います。学校の宿題を中心に,個別で皆さんの不安な単元・苦手な単元の強化を何度でもできます。特に今年はコロナウィルスの影響で3月から休校が続き,前の学年の学習内容に不安を持っている方が多いです。私たちの生徒に「どういうところが不安?」とたずねると,やはり前の学年の内容を答えます。3学期の内容は例年でも駆け足で進んでしまうことが多いのに,今年は更に習熟度に不安を抱えている生徒が多い印象です。不安を取り除くためにもSHOOTの夏期指導を利用してみませんか。入試対策や予習をしたい人ももちろん大歓迎です。学習の不安を相談されたい方や,入試に対する情報が欲しい方も是非お気軽にお問い合わせ下さい。

期末テストそして夏休み

今年はコロナの影響から、期末試験が終わった学校も、これから期末試験という学校も様々です。
期末試験が終われば、夏休み…とも、今年はならない様子。
7月一杯まで学校があり、夏休みは8月の2週間程度。という所も少なくないようですね。

ただ短いとはいえ夏休みです。大いに充実したものにしたいものですね。
目標を立て達成させるには十分な時間がありますね。
大きなことは出来なくても、何かは出来るはず。
ぜひ頑張ってみましょう!!

SHOOTでは20日から夏期指導を行います。
読書感想文や自由研究などの夏休みの宿題はもちろん、苦手対策、受験対策、何でもできますよ!
夏休みを有効的に使うため、夏期指導を利用してはどうでしょうか?
きっと夏休み明けには、「~をやり遂げた。」という実感が得られると思いますよ。

夏休みを一緒に楽しみましょう。

夏期指導 7月20日開始

お待たせいたしました!!
SHOOTの夏期指導、今年も開催いたします。
習いたい科目を習いたいだけ習える、苦手科目克服、受験対策にぴったりの夏期指導を是非ご利用ください。

ただいま夏期受講生募集中です!詳しくはお問い合わせ下さい!!

コロナウイルス拡大防止の観点から、3密を避けて指導を行います。
ご安心ください。

「努力は報われる」という言葉。

 「努力は報われる」という言葉は、嫌というほど耳にしてきた。
そして、一番疑われた言葉かもしれない。本当に報われるのかと…。
だから、「こんなに頑張ったのに出来なかった」と口にする。
「自分は特別じゃないから」と言って、自分の本心をごまかす。
 しかし、努力というのは「報酬を約束された苦行」ではないことを忘れてはいけない。
一度や二度頑張って上手くいかなかったから、自分は努力しても無駄だと決めつけるのは、
報酬がもらえない苦行をして自分が傷つきたくないし、それならば、しんどい思いをしない方が良いと
思うからではないだろうか。
 自分が目指す場所にたどり着く可能性がある「行程」なのだから、歩くのを止めると当然到達できない。
目的地に到達する「行程」は1つではない。自分が知らないものや、まだ通れないものなどたくさんある。
その中から、自分で選択した「行程」をたどる。
だから、思った以上にしんどかったり、逆に拍子抜けするくらい楽だったりすることがある。
到達が確約されている訳ではないので、道が途中で途切れることもある。
自分が進んだ「行程」が駄目だったからといって、目的地を目指すことを止めるのは本末転倒のように感じる。
間違っても別の道を選び続ける、挑戦し続ける人が傍から見たら「努力している人」に映る。
 「現在の自分」ではたどり着けない場所を目指すために、成長しなければいけないからしんどいことも
歯を食いしばって頑張る。義務というより、たくさんある必要な条件の1つなのではないだろうか。
 実際に生徒を指導していて思うのだが、子供たちが夢を持てない理由の1つが「努力」という言葉の考え方の
相違にある気がしてならない。失敗しないことよりも、倒れても立ち上がれるように指導に当たっていきたいと
強く思う。


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