人は誰しも失敗する。失敗しない人なんていない。
失敗は嫌なものだし、恐ろしいし、出来ればしたくない。
特に、ここぞという場面(受験や就職など)で味わいたくないものである。
いくら努力しても失敗することもある。
例えば、テスト勉強でものすごく頑張っても、望む得点を取れるとは限らない。
みんなが同じようにテスト勉強をしても、同じ得点を取れるわけではない。
だから、どうしてそんな得点だったのか、どうすれば良かったのか、何が足りなかったのかを考え、
分析し、改善する。そして、次のテストへ繋げていく。
このサイクルを続けた人だけが、テストで結果が出せる。成功できるのである。
テストだけに限らず、自分のやり方にこだわったり、人のアドバイスを聞かなかったりでは、
現状を打破できない。そして、打破できない自分に言い訳をして正当化しようとする。
でも、自分では間違っていることに気付いている。自分は騙せない。
結局、自分の心との戦いである。
「失敗=悪」ではないが、失敗したまま変わろうとしないのは悪であると言える。
自分を少しでも変えられた時、結果も少しずつ好転するのである。
未分類
コロナ禍での学校の授業。
気が付けば、今年もあと2か月。コロナ一色でしたが、爪あとは思いのほか深刻です。
経済や社会のことは専門家の方々にお任せするとして、教育について少し述べておきたいと思います。
皆さんご存じのように、コロナ自粛期間が2か月程度あり学校も休校でした。
再開すれば元通りという訳にもいかず、かなり問題が浮き彫りになってきています。特に、新中1・新高1は状況が深刻です。新しい学校に進学して、学校の授業や学校生活に慣れないうちに、休校して、再開後は学習方法や習慣を身に付ける前に、スピードアップした授業にいきなり放り込まれ、スピードアップが目的なので大事な基本内容や最初の単元はほとんどプリント学習で済まされることが多かったようです。リモート授業でも大差はなかったようです。もちろん、全国一律ではないでしょうし、スピードを上げながらもきちんとした授業を行っている学校もあるでしょうが、多くはこういった状況のようです。しかも未だに教科書の補完が出来ていない所もあるようです。追い付くために、生徒にひたすら「課題」をやらせたり、総合学習的手法でポイントだけをおぼろげにまとめたりして終了しています。しかも、理解が追い付かないから「こんなもの」と諦めてしまっている生徒も少なくないのです。
教育システム変更よりも、教育の質的向上が急務に感じます。学校の先生方の能力や資質も一定ではないのですから、「全て現場におまかせ!」ではこういった状況になるのは当然です。しかも、まずい状況だと気づいていない先生や生徒がいるのも恐ろしいことです。まずは、教師の人数だけでなく、教師の指導力向上を促す、例えば教師が研修を積める研修センターみたいなもので、授業づくりや情報交換ができるようにするといったシステムも必要ではないかと愚考する次第です。
原因と結果。
中学・高校ともに中間テストが終了し、テストが返却されています。
目標を達成できた生徒、出来なかった生徒と出来が分かれました。
出来なかった生徒に理由を尋ねると、ほとんどが「勉強不足だった」と言います。
そして、多くの場合、この「勉強不足」は漠然とした「勉強時間不足」を意味しているようです。
でも、果たして本当にそうなのでしょうか。
確かに、ある程度の勉強時間は必要です。しかし、ただ時間を掛ければみんなが高得点を取れる
訳ではないのです。では、その差は何から生まれるのでしょうか。
そもそも、テスト勉強は「範囲の把握⇒重要項目の確認と理解⇒確認演習⇒反復」を行うものです。
最低でも、この流れを意識しないと良い点は取れません。
指導でも生徒には伝えていますが、得点が良くない生徒は、なぜか各自「オリジナル学習法」を編み出し、
それを実行しています。まあ、要は面倒臭さが理由で自分勝手に学習しているようです。そして、その場合、
教科書を読むだけ、ワークを解くだけ、重要語句を見るだけなど、「だけ学習」になっているのです。
しかも、苦手な単元はしなかったり、一度学習しただけだったりします。高得点を取る生徒はこういった学習
はしていません。自分に自信が持てるまで、とにかく反復します。
得点という結果には、それぞれ原因があります。それを知ろうとせずに、ただ勉強しても効果が薄いのは
当たり前なのです。頭痛、腹痛、歯痛、筋肉痛の症状が出ている人が、全員風邪薬を飲んで治そうとするのと
同じです。生徒ごとに存在する原因を知ることがまず大事なのです。
才能の差は小さいですが、努力や継続の差は大きいものです。「努力出来ない」ことと「努力しないこと」は
違います。これは、学習だけに限らず、その他のことについても言えることではないでしょうか。
どうせ…。
「頑張ってもどうせ・・・」「きっとまた・・・」
皆さんも一度は思ったことがあるかもしれません。誰しも失敗することは恐いものです。
出来れば失敗したくないと思うのも当然です。これは、多くは「自信の無さ」に起因します。
簡単に言えば、自信をつけさえすれば恐怖心は和らぎます。また、何もしていない時も恐怖心は増します。
では、どうやって自信をつければ良いのでしょうか。
大切なのは、今日の「自信のない自分」という成果は、過去の努力の成果であるということです。
「明日から頑張ろう」の明日は来ないことが多いです。「やる気がないからやる気が出てから・・・」と
言いますが、やる気は実際にやらないと出ませんし、やる気がない時に努力できる人が成功するのです。
基本的に自分の努力の邪魔をするのは、ほとんど「自分自身」です。
「明日から」「これで十分」と考えるか、「今から」「まだ足りないかもしれない」と考えるかで、
大きな差になります。才能の差は小さくても、努力や継続の差は大きいものです。
同じ時間学習しても結果に差が出るのは、こういったことが原因なのです。
努力することはしんどいものです。でも、自分の夢を叶えるために少しずつでも積み重ねましょう。
言い訳して、自分の夢から逃げるのは言葉では言い表せないくらいきついです。
いざという時に、100点じゃなくても、MAXの力が出せるように、自分を鍛えていきましょう!!
「幻想」です!!
私ども塾講師はお子様の成績を上げるために、最善の指導を提供すべく研鑽を積んでいます。
ここで言う成績は、いわゆる得点だけでなく「学習能力」を含みます。
しかし、残念ながら希望するレベルまで全員の成績を無条件で上げるのは不可能に近いです。
そもそも、成績を上げるためにはいくつかの必要な条件があるのです。
➀自主性、➁自制心、➂目標、➃素直。
これらは塾に通って身に付けるというより、家庭や学校の生活環境で培われていくものです。
自分の苦手な問題を出来るようにするために、誘惑に負けず時間を取って、自分で確実に解けるようになるまで、
習ったやり方で学習(反復)して、ようやく結果が出るのです。
だから、わからない問題を先生にすぐ質問して解答を知るだけでは、何も出来るようにはなりません。
なぜなのか。それは、「問題解決能力」が身に付かないからです。
例えば、社会人になって仕事で難問にぶち当たったとします。その時に誰が解決してくれるのでしょう。
答えは誰が教えてくれるのでしょう。考えたらわかりますよね。自分で乗り越えていくしかないのです。
自分で考える力をつけないといけないのです。その手段が勉強なのです。
もし、得点だけ上げたいのであれば、ひたすら大量暗記すれば、そのテストだけは良い点が取れます。
ただ、得点の維持には毎回の大量暗記が必要ですが・・・(笑)。大概は、中途半端な我流の暗記で終わり、
得点も・・・(-_-;)経験ありますよね。
➀~➃が無い場合、大事なのは「小さな成功」です。自分が頑張ったことが報われると嬉しいものです。
だから、どの教科・科目からでもいいので、教わった方法で学習してみてください。やり切った時、自ずと
結果が出ます。正しい努力は報われることが多いです。あっ!自己流のアレンジ(面倒そうな部分をしなかったり、時間を短縮したりすること)は極力やめて下さいね。
新学期開始
短めの夏休みを終え、新学期が始まりましたね。
早いところでは、2週間前から授業が再開しています。猛暑の中体調は崩していませんか?
エアコンのついている学校も多くなったとは聞いていますが、十分体調に気を付けていかなければなりません
学校はコロナでの休校の遅れを取り戻そうと、すごい勢いで進んでいますね。
「上手く勉強についていけていない」そんな不安も多いのではないでしょうか?
焦っても勉強は上手く行きませんが、のんびりしていては遅れてくるだけですね。
そうなると学校以外の学習が大切になってきます。「焦らず、たゆまず、怠らず」しっかりとしたペースで
学習を重ねていきましょう。
決して学校だけ、塾だけ、家だけといったことのならないようにしていかないと、気が付くとすごく遅れている
なんてことがあるかもしれませんよ。
2学期は勉強以外の行事も多く、テストとテストの期間が長いものです。気を抜かす頑張っていきましょう。
安全な道と危険な道。
「上手くいかなかったらどうしよう」
誰しも自分が進もうとしている道の先に、とてつもない障害や困難が待ち受けていたり、
進めなくなる時や自分が傷つく時が来るのではないかと思ったりする。
失敗するかもしれないと思うと、歩みを止めてしまうことはよくある。
みんな不安がよぎると前進できなくなって、「安全な道」に方向転換しようとする。
自分の希望に100%叶う形ではないけれど、その方が幸せなんじゃないかと考えて
自分を無理に納得させようとする。仕方ないんだと・・・。
私も受験の時に、センター試験に失敗したために、「行きたい大学」ではなく「行ける大学」に進学した。
最初こそ合格したことに喜んでいたが、途中から大学に通っている意味が分からなくなり、
止める寸前まで追い詰められた。何もなければ、おそらく退学していた。
その時、運よく自分が希望する道に進めるきっかけが見つかったので、
辞めずに逆に今までの暗い気持ちが消え去り、心から大学生活を楽しめるようになった。
そのことがきっかけで、私は生徒には自分が納得する道を進んで欲しいと思って指導に当たっている。
あんなしんどい思いはしない方が良い。
起こるかどうかも分からないことに不安になって、自分の本当の気持ちから目を逸らしても限界は来る。
だから、本当に大事なのは安全か、危険かではなく、「自分が進みたい道」かどうかではないだろうか。
誰もが、「希望する道」を歩むために必要なのが、広い意味での「学習」なのだと思う。
目的と手段。
昔の私も含めて、おおよその生徒は、例えば、
➀計算が出来るようになる。漢字や英単語を書けるようにする。
➁テストで良い点を取る。
➂希望する大学に入り、興味がある分野の研究をする。
➃自分の専門知識を活かした会社に就職する。
➄社会経験を積んで成長する。
➅社会貢献が出来るようになる。
と漠然と計画を立てるが、学生の間は➀と➁を繰り返すために、
いつの間にか「テストで良い点を取る」ことが手段ではなく、目的になってしまうことが多い。
それに、➀~➅はいずれも、現在の自分の立場や視点によって、「目的」にも「手段」にもなりえる。
だから、容易に入れ替わってしまう。
また、「目的」に似た言葉に「目標」がある。
混同しがちだが、「目標」は「目指すべき標(数値や状態)」であり、「目的」ではない。
私なりの捉え方をすれば、「目的=目標+意味(価値・動機・ポリシー)」である。
➅を目的にしている人にとっては、➀~➄は「手段」であり、
通過点である「目標」でもある。
それなのに、➀と➁の繰り返しでは、目標疲れを起こしてしまい、「目的」を忘れてしまう。
学校や会社に疲弊感が漂っているのは、これが理由である。
「目的」は自分が成長する限り、無限に増えていくものである。
だからこそ、「目的」と「手段」が入れ替わってしまうと、ずっと疲弊感に悩まされてしまう。
知識はそれだけでは意味をなさない。自分の行動の「手段」にして、はじめて意味を持つ。
「何のために勉強したり、仕事したりしているのか」という問いに対する自分なりの答えこそが、
自分を動かす原動力なのである。
「今」の自分にとっての「目的」と「手段」、一度考えてみて欲しい。
「努力は報われる」という言葉。
「努力は報われる」という言葉は、嫌というほど耳にしてきた。
そして、一番疑われた言葉かもしれない。本当に報われるのかと…。
だから、「こんなに頑張ったのに出来なかった」と口にする。
「自分は特別じゃないから」と言って、自分の本心をごまかす。
しかし、努力というのは「報酬を約束された苦行」ではないことを忘れてはいけない。
一度や二度頑張って上手くいかなかったから、自分は努力しても無駄だと決めつけるのは、
報酬がもらえない苦行をして自分が傷つきたくないし、それならば、しんどい思いをしない方が良いと
思うからではないだろうか。
自分が目指す場所にたどり着く可能性がある「行程」なのだから、歩くのを止めると当然到達できない。
目的地に到達する「行程」は1つではない。自分が知らないものや、まだ通れないものなどたくさんある。
その中から、自分で選択した「行程」をたどる。
だから、思った以上にしんどかったり、逆に拍子抜けするくらい楽だったりすることがある。
到達が確約されている訳ではないので、道が途中で途切れることもある。
自分が進んだ「行程」が駄目だったからといって、目的地を目指すことを止めるのは本末転倒のように感じる。
間違っても別の道を選び続ける、挑戦し続ける人が傍から見たら「努力している人」に映る。
「現在の自分」ではたどり着けない場所を目指すために、成長しなければいけないからしんどいことも
歯を食いしばって頑張る。義務というより、たくさんある必要な条件の1つなのではないだろうか。
実際に生徒を指導していて思うのだが、子供たちが夢を持てない理由の1つが「努力」という言葉の考え方の
相違にある気がしてならない。失敗しないことよりも、倒れても立ち上がれるように指導に当たっていきたいと
強く思う。
学校再開から一ヶ月
県をまたがる移動が解禁となり、プロ野球も開幕しました。
「やっと今年(2020年度)が始まった」
と気持ちが世の中にでていますね。
5月25日に学校が再開してから、4週間が経ちましたね。
生徒ならびに保護者の方々も、ようやく生活のリズムが戻ってきたところでしょうか?
気持ちが落ち着いてきた頃には、油断が生じやすくなります。
特に1学期は期末テストが7月中頃からという所が多く、まだまだ遠いとついつい思ってしまいがちですね。
ただ例年よりは期間が取れているだけで、内容が大きく変わるわけではありません。
学校の様子を見ていると「通常の1学期にやる内容を期末テストまでに詰め込みたい」という思いがあふれています。
若干、生徒の理解が追い付いていない、そんな様子の見受けられます。
テストまでの期間を意識して、準備を始めていきましょう。
それは難しいことをするわけではありません。
日々の授業で進んだ内容の教科書の見直しや、持っているワークに取り組み、答え合わせをし、やり直しをする。
極めて常識的なことです。
ただこれを丁寧に進めていくのは努力が必要です。精一杯出来る事をやって学習を進めていきましょう。
塾でもしっかりとサポートしていきますよ。
どんな相談でもしてくださいね。一緒にこの一年を乗り越えていきましょう。
まずは一学期の定期テストに向け頑張っていきましょうね。