目的と手段。

 昔の私も含めて、おおよその生徒は、例えば、
➀計算が出来るようになる。漢字や英単語を書けるようにする。
➁テストで良い点を取る。
➂希望する大学に入り、興味がある分野の研究をする。
➃自分の専門知識を活かした会社に就職する。
➄社会経験を積んで成長する。
➅社会貢献が出来るようになる。
と漠然と計画を立てるが、学生の間は➀と➁を繰り返すために、
いつの間にか「テストで良い点を取る」ことが手段ではなく、目的になってしまうことが多い。
それに、➀~➅はいずれも、現在の自分の立場や視点によって、「目的」にも「手段」にもなりえる。
だから、容易に入れ替わってしまう。
 また、「目的」に似た言葉に「目標」がある。
混同しがちだが、「目標」は「目指すべき標(数値や状態)」であり、「目的」ではない。
私なりの捉え方をすれば、「目的=目標+意味(価値・動機・ポリシー)」である。
 ➅を目的にしている人にとっては、➀~➄は「手段」であり、
通過点である「目標」でもある。
それなのに、➀と➁の繰り返しでは、目標疲れを起こしてしまい、「目的」を忘れてしまう。
学校や会社に疲弊感が漂っているのは、これが理由である。
 「目的」は自分が成長する限り、無限に増えていくものである。
だからこそ、「目的」と「手段」が入れ替わってしまうと、ずっと疲弊感に悩まされてしまう。
 知識はそれだけでは意味をなさない。自分の行動の「手段」にして、はじめて意味を持つ。
「何のために勉強したり、仕事したりしているのか」という問いに対する自分なりの答えこそが、
自分を動かす原動力なのである。
 「今」の自分にとっての「目的」と「手段」、一度考えてみて欲しい。


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