学習塾に求められることは、成績を上げることであることに異論はない。
教科書に書いてある知識を使って問題を解けるようにし、試験で高得点を
獲得できるようにする。その知識を使えるようにするサイクルは大切である
と思うが、自分が講師として指導する中で若干の危機感を感じることがある。
それは、知識がただの言葉と数字の羅列になり、知識にに実感が伴わないこと
が増えていることである。
例えば、教科書に「森の香りがする川でスイカを冷やす」という一文がある
とする。子どもの頃、似た経験をしたことがある人は、森の木々から発せられ
る清々しい香りや夏でも驚くくらいの渓流の水の冷たさなどが感覚としてよみ
がえり、頭の中で鮮明にイメージできる。しかし、経験したことがない人は、
言葉として理解は出来ても五感に響くことはない。両者とも、内容を「知って
いる」ことには変わりはないが、そこには大きな差があるように感じる。
その両者の差は、試験で問題を解くことには支障が無いかもしれない。だが、
人間が生きていくのに必要な価値観や判断力、物事に対する洞察力や俯瞰力など
に大きく影響しそうである。
私は塾講師であるが、教育者でもありたいといつも思っている。教育界が益々
デジタル化や効率化(簡略化)されていく中で、ただ単に、知識や記号を詰め込む
のではなく、子どもたちが実感を伴える指導を心がけていきたいと考えている。
(中島)