続・叱れない親。

 昨年書いた「叱れない親。」というブログにいまだに反響があることに

驚いています。1年以上も前にも関わらず、検索されて読まれていることに

有り難く感じます。

 最近はハラスメントに対する意識の高まりとともに、ハラスメント排除の

機運も大きく、なおさら「叱る」という行為をしにくく、避ける傾向も強まって

いるように感じます。「叱る」と「怒る」を混同してしまっている人が、怒りと

いう負の感情を相手にそのままぶつけることでハラスメントは生まれるように

思います。受けた方はたまったものじゃありません。怒りという感情は人間関係

においてプラスになることを何も生み出しません。

 一方、「叱る」という行為は「相手のさらなる成長を願った教育や指導」なのです。

「叱る」は、相手のことを日頃からによく見ていないとできないことであり、相手への期待と愛情

の表れと言えます。だから、それらを受け取る側にも、「自分のことをこんなに真剣に考えて

くれるんだ」と叱る側の気持ちが伝わり、「自分のことをこんなにも思ってくれているのだから

期待に応えたい」という気持ちが芽生えるものです。「叱る・叱られるという関係性」において、

叱られる側の成長は言うまでもなく、当事者同士の間に信頼関係が生まれることが一番大切なこと

でありメリットなのです。昔、ある生徒の母親に「子どもに嫌われたくないので、私の代わりに先生

が叱ってください。」と真面目な顔で頼まれたことがあります。母親にしてみれば真剣なので

しょうが、子どもを叱ることを避けることは自分を守る行為(自己愛)であって、子どもが成長する

機会を奪うことであり、決して子どものためにはなりません。

子どもより、自分を優先しているのです。

 私も人間ですので感情的になってしまうこともあります。そんな時はゆっくりと深呼吸をして、

「今から自分が言うことは相手の成長につながるか」をよく考え、正しくることを実践するように

努めています。(中島)


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