アキラメル。

 今朝、「藤波辰爾、67歳でシングル王座奪取」というニュースを目にしました。
自分が子供の頃からプロレスの第一線で活躍されていた方が、30年ぶりにタイトルを取るとは、
何てスゴイんだろうと心から感動しております。プロレスファンではないのですが、
第一線で活躍するだけでなく、タイトル戦をする覚悟と挑戦、また努力と苦悩は如何ばかりかと
考えるだけで頭が下がります。そして、「お前も、まだまだ頑張れるだろう?」と励まされているようで
元気を頂きました。

 何かを目指して歩き始めはしますが、その道をひたすら歩き続けれることは簡単なことではありません。
時には心が折れてしまい、諦めてしまうこともあります。
でも、元々「諦める」という言葉は悪い意味ではないのです。「諦める」は「明らめる」、つまり「明らかにする」
ことなのです。真実や真理を明らかにすることなのです。
 
 ところが、日本語ではその意味がごっそり抜け落ちて、「目指していたもの途中で止める、断念する」という
マイナスの意味ばかりで使われるようになったのです。自分が望んでいることを目指す途中の「苦しさ」や「辛さ」
を感じると、その感情から逃げ出したくて断念し、「諦めて」しまうのです。
マイナスの感情は本人にしか分からない部分があるので、それを否定するつもりはありません。ただ少し勿体ないと
思うのです。全てを投げ出してしまう前に、「自分が望んでいたものは何だったのか」「なぜ、望んでいたのか」を
明らかにすることも大切だと思うのです。目的と手段を明確にして、マイナス感情を生み出している元は何なのかを
はっきりさせるのです。目的地にたどり着く道は1つではありません。自分にあった道(手段)を見つけると途端に楽になることもあります。

 私もここらでもう一度、自分の夢について「明らめて」みようかな!  (中島)


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