当たり前。

 「先生、毎日面白くないんやけど・・・」

何気ない生徒との会話で出てくる言葉。

大きな意味があるわけでも、深刻な感じであるわけでもないかもしれないが、

日々の生活の中で自分なりの「楽しみ」を見つけられなくなっていることは分かる。

特別な出来事がないと、つまらない日常に見えてしまうことが多い。

自分にとっては「当たり前」で、それがずっと続くように感じる。

 

 私は今、持病のために右目が見えなくなりつつある。

手術で治療できるのだが、見えることが「当たり前」だったのに、

日々変化する視力に不安を覚えてしまう。朝起きたら、見えなくなっているのではないかと・・・。

失う可能性が出てきて初めて、「当たり前」のことの大切さや有り難さが分かる。

今まで何も感じなかったが、目が見えていることに心から感謝が出来る。

そして、自分にとって「当たり前」のことなど本当はないんだと気づかされる。

 毎日を楽しむためには、少なからず「余裕」が必要になる。

身体的余裕、経済的余裕、社会的余裕や時間的余裕がないと、

何かを楽しむことが難しくなる。見聞が狭くなってしまうからである。

自分の価値観から抜け出せなくなるから、何に対しても新鮮さを感じられなくなる。

周囲の環境や状況を見聞きすることで、新たな発見や新しく出来ることが増えてくる。

教科書からだけではない「学び」である。

つまり、「学び」は自分の閉じた世界を広げてくれるのである。成長させてくれる。

それこそ、「学び」の重要な目的の1つだと言える。

 生徒を指導したり、話したりする中で、自分の考えを「当たり前」と決めつけず、

生徒に学びのきっかけを与えられるように、そして、私も生徒から学べるように

精進したいと心から思っている。 (中島)


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